寝る前に思ったことを書き出し。
1つ、何か、認めてもらいたいという気持ちの断片を理解した気がしました。
お祝いするというのは、単なる祝福だけでなく、間違ってない・正解である、というメッセージを伝えるというような意味もある気がして。
いろんなことに言える事だと思うのですが、私の場合だと独身が当てはまるのかな。
今は昔と変わり、独身で生きていくというのも一つの生き方として認められるべきであるという時代になってきました。
けど、独身は独身であることを一生祝われることはないんだな…。祝ったとして現状では嫌味たらしく聞こえますしね。
ただ、これも正解の1つであるというなら、他の人から祝われることで、正解である、間違いではないって言ってほしい。結婚しましたという報告を見るたびに、「ああ、私は間違った道を進んでいるのだろうな」という気持ちになります。間違ってなんかいないのに。
とはいえ、認めるも何も、迷惑をかけなければ好きにしたらいいじゃない…って、黙っている人が多いと思います。その場合、別に認めてないわけじゃないんですよね、お祝いはしていないけど。
祝われることは無いけど、「結婚しないの?」とかそういう事は言われるんでしょうね~。ああ、間違っているんだ、しなくちゃいけないんだ、という圧を感じる出来事はあっても、間違ってないよ!って言われる事は少ないので、バランスが取れていない気がします。
同性婚とか、マイノリティの人たちが認めてほしいと訴えている方々はそういう事なのかな…と想像。公的に認めてもらえるのって大きい。最大級の正解証明書。愛する人と暮らすのは結婚しなくてもできるんだから、それでいいじゃんっていうのは、すごくモヤモヤします。
そして、こういうのは…たぶん、他の属性を持つ人にも言えることなんでしょう。それは公的なことじゃなくても、とても身近で、他人からは些細な事と思われそうなものだったりもするのかも。オタクだって昔は犯罪者予備軍扱いだったわけですし、ゲームは子どものするものだったわけで…自分の事を、いいね!って言ってくれたら、なんか…いいなって…
今まで、社会が「それは間違いだ」と示してきたのだから、次はただ黙っているだけでなく「それはとても良いことだ」と発信する責任があるのではないでしょうか。言われなくちゃわからないよ。これは私も含む話…。
おやすみなさい