にっき

ゲーム記や転載された絵の削除申請まとめ、療養中の記録。

肯定する、認めるって具体的にどういうことなんだろう

土日も絵を描き仕事してるの、ゲームに没頭してるよりもうんと生産的で、人のためになることをしてて偉いよな…と、理想だった念願や他人を見下すことでしか今の自分の置かれた現状を受け止められない。当然病まない方が良いに決まっているので…。遊んでるのずるい、ずるいなぁ。

 

朝から不快感というか希死念慮が一番強いときが100なら30%ぐらいで付きまとってくる。希死念慮を意識しているときは、まあこんなもんかと、悲観的なまま肯定できると良いと教えてもらった、が…。

これは単に国語力の問題かもしれないが、肯定する、認めるって具体的にどういうことなんだろう。決して良い状態ではないし、良しとするわけじゃないんだよね?と思ってググったけどやっぱよくわからなかった。ありのまま受け入れるって、やっぱりその状態を良しとすることなの?

 

そんな中で辞書を引いてみた記事があって、試しにやってみると…

ググって出たgoo辞書だと、「肯定」は「そのとおりであると認めること。また、積極的に意義を認めること。」

「認める」は

1)目にとめる。存在を知覚する。気づく。「人影を―・めた」「どこにも異常は―・められない」

2)見て、また考えて確かにそうだと判断する。「有罪と―・める」「頭がよいと―・める」

3)正しいとして、また、かまわないとして受け入れる。「自分の非を―・める」「試験に教科書の持ち込みを―・める」等々

 

思っていたのと違ったな。良いとするわけじゃないんだ。なんか認める、肯定するって、良いこととして判断するイメージがあった。だれだれに認めてほしいとか承認欲求とか、ある程度評価を得る状態とか、そういうイメージが強いな。こうして書き出してみると、このイメージもツイッターの影響を大きく受けていそう。