にっき

ゲーム記や転載された絵の削除申請まとめ、療養中の記録。

「タイミングが悪かっただけ」ってなんだろう

今日は比較的穏やかなまま。日付が変わってちょっとしたら、私が倒れて1ヶ月になります。いつになったら、好きや楽しいが戻ってくるのかな。

 

少しずつ人に話を聞いてもらってる中で、あの一連の流れが全て致命的な偶然の塊であるということを、受け入れてきているように感じる。

だからってどうしたらいいんだろう、というのはやはりわからず。偶然だから、タイミング悪かったから、仕方ないな、で済まなくなってしまったほどのダメージがあったことは変わらない。

むしろ別種の、しょうもない偶然であるならばどうして耐えられなかったのだろう、という自責の念や、なぜ偶然を被せたのだ!という他責の念が発生した。特に前者は、当時よりは回復したからこそ発生しているな…と思う。

 

それとも「タイミングが悪かっただけ」って、過去を悔やむためにするものじゃなくて、未来に目を向けるってこと?タイミング悪すぎて倒れちゃった!怖いけど今後も起きるとは限らないから、元気になったらもどろ♥ってこと?

仮にそうだとして事件直後の私がそれを受け入れられるかどうか…それを受け入れられる下準備がこの療法なんでしょうか。

 

天罰じゃなくてタイミングが悪いだけ…でも、そもそも前例があるんだよな…。

被害規模を実感し、心を守るため鍵へ逃げるきっかけになったのは、ディスカバリーのたった1ヶ月ほど前。この時は時間もあったからかゲームを楽しむことはできた(本当は出来ないと思ってた)。ただ…絵を描く元気は…一番被害が大きかったのカービィなので…怖くてあまり描けなかった。

 

元々ゲーム欲が薄く、無条件で買うことがあるのはカービィゼルダだけだったので、このタイミング自体が稀なもの。さらにいえばゼルダは遊んでてもブレワイまで描くことは無かったのでより稀なもの。

今回は特に、1年が365日ある中で、数年に1度程度のゼルダ発売直前であることも、もう活動も絵の公開もしていないアカからメアドを見つけたことも…偶然にしてはなかなかの重なりだと思う。
もちろん、楽しみの前では些細な嫌なことを大きく受け取る可能性はある。でも、会社で嫌な事言われた!等の普遍的な出来事と性質が大きく異なると思う。

 

また今回はディスカバリーの時よりも、現在の私のほぼすべてを乗せた念願いくつも叶いつつあった理想の環境であったため、ダメージが大きく、二度と繰り返したくない思いや恐怖は非常に大きい自覚がある。

絶対起こるとは限らないと頭でわかっているけど、似た件が2件既に起きているため2度あることは…と、過敏になり、それが天罰再来の恐怖に繋がっている気がする。

うつの再発率の高さへの懸念もあるけど、たぶんこのタイミングじゃなければ、2回目の爆発は無かったからアカ消さずにSNSお休みでいけたかもしれなかったとも思うし…。

 

考えなくちゃって焦ってたけどわけわかんなくなってきたな…。どうしたくてどうしたらいいんだ…。