「いつまでも暗いの嫌なんだけど」
そんなこと言ったって介護なんてすぐ終わるわけないじゃん…っていうケースを聞いた。
なんでそんなこともわからないで言っちゃうんだろう。立派な加害だよなあ…。
うつ病とかも、いつ良くなるんだとかその手の暴言を家族に言われる話も聞いたことある。
それって言う側が悪いはずなのに、でも言われた方はどうしようもないだろう、言い返したり忘れたりするそんな気力もないだろうから。
最初は優しい言葉をかけてもらえても、やがては心配すらされなくなっていく。
だっていつまで続くかわからない事に対して言葉を考えるのはコストがかかるだけで無駄だと判断されるから。そしてそういうネガティブなものは伝染するから、だから遠ざける。
まあそうだよね、きっとそれが普通なんだよね。別にわからないわけじゃないよ。
最初だけのやさしさ、見放されたことに気づいた時の悲しみ、苦しみ、嫌悪感とか多分気にしないで、良い事した気分になって気持ちよくなりたくて最初は接するんだと思う。
コストかけてあげたのに、思い通りに良くなんないのが腹立たしくて最終的には暴言を言い出す人もきっと多いんだろう。
そういう、「弱っている人間に対して取る行動」がその人の本性だよね、っていう話を聞いた。
そういうのってきっと元々身近な人達が多いんだろうな…。
最初に述べたケースも、被害者の友人から言われた言葉だそうで。
だから防ぎようがない。えぐい。
理解ある彼くんとか、家族とか、友人とか、そういうのに恵まれてない人はどうしたらいいんだろう。
私がそうなんだけど、誰に心配し続けてもらえるの?誰が様子見ててくれるの?誰が声かけててくれるの?
専門家はお金のある人の「ぜいたく品」だよな…
お金を払うから見てもらえるだけで、お金が無かったら見てくれない。
皆そう。家族や友人も同じでしょうね。そりゃそうだ、何で無料でこんな大変なこと奉仕しなくちゃいけないんだろうって思うよな。
だから結局、一生治らない病気や障害を持つ人や、年単位でものを見ていくタイプの病気や、介護者とかそういう立場になったら、孤立していくだけで詰みなんだなって思う。
辛くなったら相談しましょう!
命は全て尊い!
(笑)
社会が発してるメッセージって「使えなくなったんならはよ死ね」「愚痴るな」じゃん。
きれいごと並べて嘘つくなよ。
私も相談したら離れられたり叩かれたりしたもん。
社会、「辛くなったら相談しましょう」のツラだけはいっちょ前。
家族でもないなら最後まで面倒見る必要とか無いと思うし、むしろ家族でもないのに最後までは酷すぎるだろ…と思うけど、家族だけが負担を背負うのも酷過ぎる。辛くなったら相談とか命は尊いとか言うなら、家族以外のサポートが大切だと思うんですけど、あんまり一般的な考えじゃないんですかね?どうなのかな。時々でいいから気に掛けることを続けるとかじゃダメなのかな?
きれいごと並べておかないと社会が回らないのはわかるんですけど、そういう嘘つきの世界で生きましょうねって、生きるよう誘導されるのが苦痛。
望んでないです。優生思想で結構なんで早く合法的に処分してください。ほら、素直に病気になったあなたは社会の重荷なのでいらないですって言って処分してください。寝てる間に薬でも打って殺してくれればいいのに。
中学生の頃かな、大人って嘘つきだなって思ったあたりからずっとずっと、大人って嘘つきだなって、もう私がいい年した大人になった年齢になってもそう思ってる。
だれも責任を取らないまま、私の心の傷は幼いころから癒えないままで、年だけ食ってるのに大人の振る舞いを求められてる気がしてとても苦しい。
あの頃、同学年ぐらいの学生の自殺が流行ってたんだよな~。それで、死なれちゃ困るっていじめが収まって。先生も親も真面目に対処してくんなかったのに、加害者の方が危機管理能力あるって何のギャグよ。
だからさ~あんまりそういうきれいごと並べた嘘つきの大人になりたくないだよね。
社会の風潮とか一般常識とかは私を助けてくれなかったので、私はそういうのを無視して自分に正直で、我儘に振る舞いたい。
命は尊いと思わないです!
他人から価値を与えられた命だけが価値のある命です!
社会から学びました!
自分がされて嫌だったから心配してる相手には時々メッセージを送っていきたい。
私も病人なんでね、限度あるし、もうTwitterからも脱したごくごくわずかなネットの人間関係しかないし相談されることはほぼほぼ無いけど、なんか心配だなって思うときくらいはあるから…。
でも、私の事コンテンツ製造機だと思ってる人しかネット上にはいないって改めてわかったから、私だけ相手の事を人間として見てるのは正直不満でもある…。
絵の公開してたころは、絵と楽しいことだけを徹底して、当然コンテンツ製造機扱いしてくる人はごまんといた。でもその頃はまだ覚悟があったから…。
辞めてある程度人を絞った鍵アカに籠った時からも、ずっとずっと色々あったな。
心配してくれたから鍵アカに通したのに、絵の被害の苦しみを呟いたらリムられたり(癒しじゃないからでしょう)。
同じく絵の被害が大発生していた無断転載サイトの文句を言ったら、そのサイトを使っていた絵描きさんから酷いこと言われてブロックされました。
え、そんなにすぐ心の傷が癒えるんだったら鍵アカになるわけないでしょ…?
去年倒れてからは、心配のメールの返事が来なくなったり、闘病日記見てるだけで声かけられなかったり。近くに引っ越してくる予定の人と色々話進めてたのに、急に遠くに楽しそうに引っ越したり。
絵と楽しいこと以外のことを話せば、どんだけ前置きしておいても離れられるか叩かれるかばかり。どうして断ってくれないの?断ってもいいようにしてるのに。OKしたならどうして最後まで冷静に振る舞ってくれないの?私の言ったことがイヤなんだったら、それを他の人に愚痴ったらいいのに。私もううかつに相談も愚痴も人に言えやしないなんてビクビクしながら過ごしてるよ。
これって本当に人間扱い?絵と楽しい事以外を認められないのはコンテンツ製造機と違うの?
私が絵を公開してた頃からずーっとずーっとコンテンツ製造機に苦しんでた、この日記も日常アカの代わりだからいい事だけ書いてた、コンテンツ製造機に紐づけてたものだから。
弱ってからそういう苦しんでたコンテンツ製造機関連刺激するようなことばかり起きてる気がする。
一時期は日常アカを作ったり、マストドンのチャットに入り浸って人間になった気分を味わっていたけど、それって病気じゃなかったからなんだよね。絵じゃなくても、楽しいことを言えたから許されてたんです。愚痴っていいよの雰囲気あったけど、実際のとこは…。(それでもTwitterより何倍も人間扱いの場所だったけど)
私、病気酷くなってから、イヤだなって思ったことを打ち消せるほど人間扱いされてるな~って実感できること、そんなにたくさんあったかな?
まあ、でも、たぶん、さすがに忘れるにはちと量が多すぎて、イヤだなって思った事がなくなるわけじゃないけど、人付き合いって良い事ばかりじゃないよな~ってわかってるので、なんやかんや復縁した人ばかりです。完璧を求めだすときりがないし、私も完璧なコンテンツ製造機じゃないし…
でも私がそういう気持ちを抱えてると知ったら切るのが大人の人付き合いなんだろうな…子どもの頃はそういう、何か起きて仲直りとかはよくあったことだったような気がするけど…
イヤだなって思った事がなくなるわけじゃないし根に持ち続けはするんだろうけど、子どもの頃の、そういう「仲直り」とかができなくなるのもなんか嫌な気持ちがある…。
うわー、難しい。私どうしたいんだろう?
だからこれからもやり取りがあったら、私がコンテンツ製造機であることに耐えれてフェードアウトせずに済んだら、きっと心配のメッセージを送ってるんだろうな…。自分がされて嫌だったから…。
でも、私は誰にそうしてもらえるのかな…って考えはするなあ。
一生治らない病気や障害を持つ人や、年単位でものを見ていくタイプの病気や、介護者とか、そういう人たちは誰に心配し続けてもらえるんだろう…
理解者のいない当事者がどうやって生きているのか知りたいな…。