にっき

日常や無断転載削除申請まとめ、ゲーム記録。ネガはワンクッション

さいとうなおき先生の動画の中で私にとても当てはまる相談者を見つけた

いやほんとサムネのキャッチコピーめっちゃ嫌すぎる!!!!

キャッチコピーと内容があってなくて寧ろ伝わりづらいですよ…

 

www.youtube.com

 

相談者さんは評価されない事で他人の絵が見れなくなり、さらにはうつ症状が出てしまったのだとか。

ああ、めっちゃわかる…。私、今も他人の絵見たくないし…。

先生の回答は3点でした。

 

・自分のためだけに絵を描く

・情報を遮断する

・1日の最後に自分を褒める

 

「感動をたくさん持っているからこそ、持っているものの一部をプレゼント出来る」

その感動を手元に溜めるための3点らしいです。

 

どう考えても私の手元にはそこまで余裕がありません。

でも思うんです、私の持病は完治とかそういうものではないらしいですから、どんなに良くなっても鬱期が来れば全てを失います。

それにSNSを辞めた後もドタバタとありました。

この方法で私も本当に良くなるんでしょうか。

 

疑問はありますが「自分のためだけに絵を描く」というのにはかすかに憧れを感じます。

一次創作の女の子をクロッキー帳に描きためています。一次創作を見たいと言わない人たちには見せたくない私の女の子たち…。

でも一方で見せない絵を描くのは無駄という気持ちもあります。

それに私がこの絵を見せないとしても、見たくない人たちが損をするわけでもない。なんだかそれって無価値が強調されて悔しくないですか。

これが果たして癒しになるんでしょうか…。

 

1日の最後に自分を褒めるのだけは出来そうにありません。

声に出して褒める、これだけはどうしてもできそうにありません。強い嫌悪感と抵抗を感じます。嘘をつきたくないからです。やろうとしたことはありますが、喉が詰まったようになって、声が出なくて、代わりに涙が出ます。気持ちが悪い。

他人からろくに評価されないものに価値はありません。それが現実です。

それでどうやって褒めるところを見つけられるの?

先生は対談動画でも言っていたことをメモしてあります。

 

クリエイターが辞める理由 勘違い出来なくなった時に辞める

一番の原因 人から認められていないと勘違いしにくい

人に認められる経験が無いときつい

 

昔の事を思い出します。

私の、描きかけで完成にも至らなかった一次創作の新シリーズ第1作目。これをニコ生で描いていたとき、私は評価のされなさを思い出して配信中だというのに泣いてしまったことを覚えています。

こんなこと、一次創作アカをフォローしていた人たちは一切知らなかっただろうなあ。

 

どうして評価してくれなかったの?どうして普段から好きだと言ってくれなかったの?と他責思考を表現してしまったら、人は離れていきます。見ているからといって評価する義務はないのに責められたら気持ちが悪いわけです。

でも、それをわかっていても、こちらからすれば、じゃあなんで見ているんだ?って思うのも当然なんですよね。それなのに、評価してくれない有象無象なんてどうでもいいはずなのに、やっぱり理由が理由なだけに、見放されるのが怖いんです。

かといって自責思考になれば、ただ自滅していくだけで後がないです。どちらがマシかといえば、他責の方がマシでしょう、お前らにはもう見せない!と言って創作を続けること自体はできるんですから、自責と違って筆は折れないんですよ。それなら、落ち着いたらまたいつか、SNSじゃなくても個人サイト等でも、何らかの形で見せたくなる時が来るかもしれません。ただきっと私にはそれは訪れませんが。

 

自分のためだけに絵を描く…。

自分のためだけに…。

 

skebはありますが、9月以降FANBOXをおしまいにしてしまってもいいかな、という気持ちがどんどん強まります。

どうしてこうなったんだろう…。FANBOXはこんな気持ちになるような場所じゃなかったはずなのに。skebをしなければよかったのかな…。

メインとなるSNSが無くなってFANBOXがそれに代わったことがいけないのかもしれません。でも、一次創作復帰のために頑張っていたところにトドメを刺したのは相互さんです。私が弱っていることを知っていながら、話の最中にヒートアップして論破しようとしてきたあの人のせい。だから人が怖くて戻れなくなったんです。FANBOXでしかやっていけなくなった。

 

じゃあ、私はどんな風に一次創作の需要をおねだりすれば良かったのかな…。