にっき

ゲーム記や転載された絵の削除申請まとめ、療養中の記録。

絵の中身の話

時折思うことなんですが、絵を描くにあたって好きなものが一貫している人は強いな、と。

 

例えばロボットが好きでロボットを描いている人は、ロボを描くために必要な知識が豊富だし、歴史が好きで描いている人は歴史に詳しく、星に詳しければそのことにまつわる話を、服を作っている人はキャラクターの服を描く際に非常に有利、だと思うんです。なんというか…「絵以外の」専門的な何かが好きで、その知識を深めて、そのうえでそれを表現する手段として、絵なり小説なり映像なり、何らかの形をとっているのだと。

フェチだとより分かりやすいかもしれませんね。特定の部位やシチュにこだわりを持ち続ける人っていますよね。

 

文字にすると「そんなのは当然じゃんか」という感じですが、私の場合はちょっと違う。好きなものを描いているというのは確かにその通りなのですが、そもそも絵を描くのが好きで、絵を描きたくて、描くものを探している…みたいな、順序が逆のように感じます。何かが好きで描く、ではなく、描くのが好きで描く、みたいな…「何か」が抜けている気がしてなりません。絵の中に入れるものが無いんです。

でも確かに、好きなものを描いてはいるんです。が、絵以外で特定の分野で、専門的な知識を持ち経験を積んでいないので、自分が空っぽのように感じます。

 

さて、私は何が一貫して好きなのかなあ、もしかしたら何かあるかもなあ、と探してみたものの見つからないんです。なんというか、一次創作では「自覚している自分の好み」を描いていますが、二次創作は「実際に好きになったもの」。それは「無意識に好んでいるもの」で、実際に「自覚している自分の好み」とはずいぶんと内容が乖離しています。フリフリフリルの女の子と民族的な鳥人はどう見ても似ていません。

 

少し話は飛んで…ここ最近ですが、「オタクはオタクコンテンツを通してしかものを好きになれない」という話をネットで見た時に、ああ、まさにそうだととても共感しました。すぐに別のオタクコンテンツに影響されて、好きなものが移り変わっていくというのも。

私も、すぐ近くにいろんなものがあるのに、オタクコンテンツを通してしか気づけてないんです。もちろんそれ自体は悪いこととは思わないです。知らない世界を知るのは楽しい。

ただ、私は私の理想とする生き方をするうえで、これはあまり喜ばしい事ではありません。もうちょっと自分に主体性がほしい。けれど、何を好きになるかって自分でコントロールできるものではないので、どうしようもなく…。

それに、1つのことを突き詰めて生きていくのは強い。問題は私にとってそれが「絵」です。でもやっぱり、絵は描かれる「何か」があって成り立つので、「絵」そのものを突き詰めてもな…と。

 

私の描く一次創作のフリフリフリルの女の子だって、もとをただせばアリスSOSCCさくら等に起源がありますし、その後も別にロリータを勉強したとか、描き続けたとか、そういうわけでもありません。今だって、もとからクジラが好きでホエルオーを好きになったわけではないですし、鳥が好きでリーバルを好きになったわけではないです。

オタクコンテンツを通してしかものを好きになれない、というのが痛烈に刺さります。

描きたいものができた時、自分なりに知識を0から集めて、本を読んでっていうのをやっていると、本当に自分が空っぽなのを痛感します。

 

絵以外に本気で好きなものができたらいいんですが…。

 

 

にほんブログ村 その他日記ブログへ
片方押してくださいな。