にっき

ゲーム記や転載された絵の削除申請まとめ、療養中の記録。

腰の剥げそうな夜だから不満もたまる

昨晩はTwitterでツイート削除バグが起きているという話を聞いた。

もう私はTwitterの人では無いのでオモロwぐらいの感覚でしたが、Skebの次のリクエストやろうとして気づいた…

いやーーーーーーー納品報告したばかりなんだけど!???!何様のつもり!??!?!あんなろくにログインもしないアカウントでちょろっと報告したタイミングで!!

 

一応、何事も無かったみたいだけど…。調べてみると消えてたり戻ってたり、みたい?

うーん…今までも大量凍結は何度か起きていたから、ここ最近のも、まあそういうこともあるだろうという気持ちだったけど…ツイート削除ってどうなんだろう、あったのかな…

 

Twitterの崩壊感すごいな。

Twitterでしか繋がってなくて、Twitter以外をやらなそうな人で、もしも崩壊しても連絡先を知りたい人に、ディスコ送り付けてからアカウントは消した。けど、全員では無くて。DMのやり取りはちょこちょこあったけど、用がある時くらいで、話しかけるきっかけがなければ話す感じでもなく、Wiiデラ発売日直後でゲーム遊んでただろうし邪魔しちゃ悪い気もしたから、ひとまずはいいか…という人の連絡先が欲しい。

 

もう流石に別SNSに直接誘ってもいいぐらいの崩壊具合だと思うし、逃したくない人をひっとらえて離さない勇気も大事なんだけど、今となっちゃ誘う場所も資格も無いな……。

ディスコードだけでも創作から距離を置く前にやっておくべきだった。

 

私は何がしたいんだろう、何やってるんだろう…いや、したいことは明確なんだけど、それでも少しは余裕が出来たからか、アレコレ考えてしまう。

オタク事と両立できなかったのかな、とか、いずれマストドンと出会うんだったらTwitter移行後もコンテンツ生産機に徹しておけば周りに嫌な思いをさせずに済んだんじゃないか、スマートだったんじゃないか、とか。

 

戻れる時が来たら、ディスコぐらい交換できればいいんだけど…。戻る事自体に、あいつは村を出た、もう村の子じゃない、みたいな恐怖がある…。戻る場所が無い、と思っているのは私だけで、Twitterで楽しくやってる人は別に他人のことそんなに気にしないと思ってはいるけど…。罪悪感。

 

他人に対してそんなこと思った事はないけど、それは自分に対しては適用されない、と考えてしまう物事が本当に多い。今、私と同じことを考えている人が他にいても、わかる~!!!しか思わない。

けど「自分で上げてるくせに何を?」とか「見てあげてる(もしくは見てくれてる)のに悪い事してるって言うわけ?」と思う人はいる。

SNS疲れの表明ってそういうことだと思うし、まさしくその通りだと思う。そういう気持ちを隠しながら接するのは…どうなんだろうな…。

 

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絵描きは地位が低い、みたいな何か、そういう考えというか、体感的な感覚がある一方、過剰なまでに持ち上げられているという矛盾した何かも感じてはいるけど、人間扱いしてないっていう点では同じ。新しい絵をあげなくちゃ価値がないと思う人が多いのは、プラットフォームの仕組みだけではなく人がそうさせるのもあると思う。

 

見下されてるのはAIの頃にすごい勢いで可視化された。普段は絵師だの神だのなんだの呼び勝手に神格化してる人もいれば、生産機として人間扱いしない人も多い。その件についてずっと思っていることがある。

 

絵を描いてるだけで偉そうだって言われる事、まあ、確かに偉そうにしてる人はいる。

偉そうってたぶん、フォロワーが増えて絵以外の発言力にも力がついたから、とか、絵を少し使ったくらいで使わないで!ってケチくさい好きで描いてるくせに、とか。そういうことだと思うんだけど、でもそれって本人のせいじゃないよね…。発言を支持しているのは誰?勝手に使って悪いのは誰?

それに「絵師」、何が絵師だ、いつテメェの師になったんだ、勝手に持ち上げておいて都合が悪くなったり飽きたりしたら切り捨てるくせに何様だ、とずっと思っている。一方、下手くそを揶揄するための言葉だったとも聞くし、絵師様なんて、様付けまでする人もいる。どちらにせよろくでもない、だからずっと「絵描き」と表現してきた。絵師表記が嫌いだけど、絵描きもその言葉を使って人を指したり自称したりするし、文字数制限がキツイあの世界では2文字で済む。言葉の意味は移り変わるとはいえ、これは良くないとずっと思っているし、時々この言葉を嫌っている人を見ることがあるけど、日本の中心にあるSNSであるTwitter様が絶対正義なのでもうどうしようもない。

流石に指摘する気は無い、そういう文化だしもう慣れた。

 

AI…絵以外のAIでコンテストが荒れてどうとか、デマ記事が…とか、そういう話を聞くたび踏みつけられた側の1人としては、でもAIと人間って同じように他人のもので学習してるからそんなに変わらないんですよね!?じゃあいいんじゃないですか!技術の発展に犠牲はつきものなんですよね!じゃあいいんじゃないですか!文章の著作権?絵も勝手に使われてるしいいんじゃないですか!とか、その業界が汚れても、その利用者が不便を感じても知るもんか。ざまあみろの気持ちがある。

世の中にある娯楽は全て作ってくれてる人のおかげだ、お前たちは返しきれないだけの借りがあるだろう!って、怒るタイミングがどこかにあってもいいと思う。

 

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Twitterからも創作からも離れても、こんな陰鬱とした考えは消えない、描きたい気持ちがフツフツと沸くほど描きたくなる好きなものがわからない。でも絵は辞められないのでSkebで一命をとりとめてるような感覚。

 

この間、一次創作の方で、素敵な作品に触発されてやりたいことが溜まっていく!と呟いてる人がいた。パクリって思われたらどうしよう、じゃなくて、すごい純粋な創作人って感じで、羨ましかった。

 

好きなものがある人は強いな、とは昔から思っていた。例えば歴史が好きで、それを表現するために漫画を描く人とか、タイツの表現にやたらこだわってる人とか、関係性を重視して人間関係を丁寧に描く人とか。特定のジャンルやフェチが好きで、それを表現する人は、作品に力があると思う。

私はあまり自分の好きなものが何なのか自覚してない、本能の赴くままというか、深く考えてない。他人から見たらどう見えてるのかも知らない、教えてもらったこともない。

かわいい女の子は好きだけど、統一感はない。例えば天使だけ描けば、あの人は天使の人って認識される(=覚えてもらえる)けど、そんなものは無い。おまけに現実に存在するロリータとかドレスそのものに強い興味はない。絵がいい、絵が好き、絵以外に強いこだわりを持つほど好きなものが無いから「あなたこれ好きだよね」っていう反応が返って来た事が無いんだと思う。いろんな子がいる方が好きだからそれを描く。

一点特化タイプは強い。覚えてもらえるから。界隈に〇〇の人として認知してもらえるし、あのアカウントは興味無いものも投稿するからフォローしないって思われることも少ないはず。

 

描きたいものがわからないけど、絵を描く行為自体が止められない、特に患ってからは好きなものだけよくわからなくなって、描かなくちゃ価値が無い考えが強迫観念じみたから。絵が落とされたらもう後が無い。空っぽ。永遠にSkebが続けばいい。

 

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Twitter爆破からもうじき3週間か。長かったような短かったような。

こんなことを思いながら逃げてきて戻るっていうのもずいぶんと…ね~。

 

絵描きじゃなくても仲良くしてくれる人がいるところの環境構築がいつまで続くかわからないけど、Skeb繁忙期を抜けるまでは何も手が付かないので、それまでは確定にしても先は見えない。

まあいずれ戻ると思います、どうせ絵しか能が無いので