にっき

ゲーム記や転載された絵の削除申請まとめ、療養中の記録。

Twitterが嫌いで嫌いでしょうがない

あの頃、確かにアニメは見れなくなっていて違和感はあったけど、それでもメールの主さえいなければ、こんな何ヵ月も苦しまないで済んだとは思う。メールの主は私の漫画に辛い時期助けられたと書いていた。面白いよな、助かったって言ったらその漫画を描いた主は倒れちゃってずっと死にたい死にたいって気が狂っちゃったんだよ。死神みたいなもんだな。私の代わりにそいつが助からなければ、私は助かってた。

私はずっと自分の絵にこれでもかって苦しめられてる、なんで?どうして?他人の得になることをしてきたでしょ??どうして誰も傷を埋めてくれないの??なんで???考えない日はないよ。

 

あの2、3月頃か、🐳の大きなぬいぐるみについて四方八方から浴びせられたのはマジで集団暴行か何かかと思った。トレンド入りおめでとうの一言さえなければ………トレンド入りなんて穢らわしいことをどうして他の人は普通に受け入れられるんだろう。どうしてそんなにTwitterを思考の中心に置けるの??

あれもうつへの入り口の1つだったんだろうな…。言えば良かった。目に入ってきたものは取り消せなくても全員に、辞めてねって言えば良かった。拒絶をしなかったことは良くなかった。拒絶したからといって変わったかというと疑問だけど…それでも本音を我慢して次々浴びせられる苦痛を受け入れるだけなのは嫌だった。善意なのはわかっていても…。

 

誕生日の前日がbotwの発売日だったのもあった。ただでさえ生命力弱まる誕生日に別の嫌いなイベントがくっついてしまって苦痛で仕方なかった。ああ記念日なのに絵を上げてないな…って。でもきっとファンからしたらそんな日に生まれた方が悪いんだろうな。

でもあの死の誕生月を乗り越えて安心していたのに…なんで…。

 

このTwitterズブズブの国にいてTwitterから逃れるなんて選択肢は無い。字書きは知らんが絵描きにとってツイ支部にいなければ世間に存在してないようなものだから、どうしても身近な存在になってしまう。

Twitterから出てTwitterで我慢してたことが身を掠めただけで何倍も辛く感じるようになっても、慣れるしかないという考えは、今も変わらない…Twitterが憎い

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不具合やフォロワー限定機能提供の削除等でニュースになってるのを見た。マストドンに人が増えてるという話を聞いた。くるっぷにも人が増えているらしい。

どうせそいつらも負荷だけかけてすぐにいなくなる。SNS依存症の連中にこそ病院が必要じゃないか。

 

これはSNSを脱していて良かったと思う点かもしれない。負荷だけかけられてきっと腹を立てていただろう。穏やかに暮らしていた先住民のことなんて微塵も気にかけないで文句垂れていられるのは、簡単には不具合に陥らないパワーのある企業のプラットフォームに慣れきって相手がどうなるか考えたことがないからだろう。何もかもがTwitter中心の日本でそこにいる圧倒的マジョリティの振る舞い。

 

それに限らず、Twitterの声がでかい人やキモヲタムーブが嫌いなのは、連中が、その行動が染み付いて自然とそう振る舞ってることに気づかないか悪いとも思わないところだ。いろんな界隈にいろんな声がでかくて気持ち悪い言動をする人がいるだろうが、身近なのはどうしてもオタクだから、キモヲタムーブが嫌い。わけのわからない言い回しで誇張表現をして…そういう文化だと言えばおしまいだが、気持ち悪いと思ったことはないのか、普通に喋れんのか、と思う。あれが躁じゃないなら私のどこがどう躁なのかわからない。もちろん自分がそのキモムーブをしていない自信は無いけど…。スラングは便利だ、使わないようにしていても時々は使うし相手に合わせることもする。でも……もはや普通に使われるようになったが本当は「推し」も嫌いで極力使わないようにしている。これは…ネットと現実の境目が薄くなってきて本当に息苦しい。

 

ともかく声デカやキモヲタムーブ、あれらが目につかないマストドンは快適だった。静かで、ようやくのんびり出来ると思った。本当に……。私が他人から否定されずマウント取られず普通にお話しできる環境が手に入ったところだったのに。

よろしくない。ずっと叶わない願いを抱き続けるのは…。よろしくないけど、普通に人とお話ししたい願望が消えることはないだろう。親からもリア友からも手に入れられなかったものだ。けど、こういうのも絵を上げたのが悪いって言われるみたいに、SNSに依存するメンヘラって悪く言われるんだろうな…。

 

カービィのサントラやピアノをイヤホンで聴く以外にSkebを進められない。早々に耳鼻科の世話になる日が来てしまうんじゃないかと不安だ。