にっき

ゲーム記や転載された絵の削除申請まとめ、療養中の記録。

漠然とした不安があるが言語化できない

絵に関して漠然とした不安があるがどうも今回は正体がつかめない。参ったな…言葉に出来ないのでは対処のしようがない。わからない、不安だ、怖い。家族とご飯を食べてても、ゲームをしてる間も怖い……子どもみたいに抱き締められたい、大丈夫だよってあやされる子どもみたいに…

 

だいたい目星はつく。

活動を辞めても飛び散った絵は全部は消せないから絵泥棒には搾取され続けること。

戻ったとしてもジャンルが変わったらもう絵を見てもらうことが出来ないこと。

今躁が混じっているのだとしたら、それでも自分の絵を好きだと思えていないなら、もう二度と自分の絵を好きになれないんじゃないかということ。

目星はつくだけでそれだと確信できないから言語化ができない、漠然とした不安と恐怖……

 

今日はロープを見に行った。たっっっっか…………死ぬのにも金がかかるな…いやこれからを思えばはした金なんだけど…。量り売りもあったけど流石にバレそうだと思うとこっちは利用できない。

あーあ、生まれてきたくなかったな。どうして子どもなんか産めるんだろう。生まれてきたくなかったって思ってない人生だったってこと?どんな人生だよ…………まあ私の頃はまだ結婚出産が重視されていた時代だろうから事情は違うのだろうけど…

 

躁鬱の本や体験談を読んで、わりとSkeb詰め込みまくっちゃったのが原因なんじゃないかと思う。

躁鬱の波が来たら5年くらいして次の波が来るという記述があった、もし前の会社を辞めたときからカウントするならちょうどその時期だ。

Skebをアホみたいに詰め込んで、マストドンで楽しくやっていたけど、あれがまあ、躁的な行動だったんだと思う。

普段から、夜になると絵泥棒関連の反射的な不安とかはあって、凍結祭りや不具合等のイーロンショックやトレンド入りホエぐるみの知らせを四方八方から浴びて、なんだか疲れてどんどんネットが窮屈になって、マストドン楽しみながら対処しつつも、じわじわとアニメを見れなくなっていって…メールでフラッシュバックで一気に鬱転…

って考えるとわりと躁鬱の波に沿ってる気がする…?なんであんな…ただ許可を求めるメールで倒れたのかわからない理由ってこれだったのかなぁ…。

 

メールがなくてもそのままうつ状態は来てたのはわからないけど、でも流石に休み取るつもりだったし、日報も楽しかったし、自分の納品物は美しいと思っていたから…たぶんここまで酷いことにはなってなかったと思う。

あのメールは大型トラックで続編は後続車で、連続して轢かれたレベルの事故だ。

 

思い返せば前の会社にいたときは完全な躁でも鬱でもなくて、躁ベースに鬱ちょっとの混合だったのかなぁ…とか思う。そりゃ次は鬱が来るよね、今は鬱ベースに躁…?

でもあの頃は気分安定薬飲んでなかったし辞めたらわりとすぐよくなったとか、一番の躁はブレワイ絵描きまくってた時期だけどあの時うつの波は来なかったけどな…って色々疑問はあるんだけど…

 

しかしそうか、躁鬱自体は不治の病か。神田橋語録では体質と表現されていた。どちらにしても少しショックだ。怠惰で患ったものじゃないから納得がいかない。

いいな治る病気の人は…

普通の人はフルタイムで働いてるのに私は家で好きな絵描いてるだけでも病が悪化するのか…