にっき

ゲーム記や転載された絵の削除申請まとめ、療養中の記録。

体調とメンタルの話

相変わらず気分はフラットで、アレが好きだこれが好きだという高ぶりはなく、時々急降下する。

この間は神主をやっている友人から、死にたい気持ちを否定された。まあ聖職者が肯定できないのはしょうがないのだろうけど、あっという間に気分はどん底だ。どうして私の邪魔をするのだろう。私には死にたいと思う権利も無いのだろうか。死を望むのは人として最低限認められるべき権利ではないか。私が生きていることで私に何の得があるのだ。

ためしにもらったばかりの頓服を飲む。なんだか眠い。手持ちの薬を全部飲んでもODで死ぬには足りないんだろうな…

こういう話が頭を掠めるだけでもう死にたくて死にたくて泣いてしまう。鬱期じゃなくてもこれなら、もう本当に限界が近いのだろう…

 

私には話していたいひとがいるけど、寄りかかるわけにもいかないから、いつかきっと、話したい気持ちもskebと同じようにもうストッパーにはならなくなるだろう。またお話ししたい、その願いを諦めて死んでしまうんだろう。

 

 

今日も今日とて漫画家さんたちもファンもきっと怒っていることだろう。あのニュースを見ていて自分自身にも思うところがある。

作品にしか用がない、中の人はどうでもいい、という価値観は別に出版社やテレビの人たちだけが持つものではない。私も、他の絵描きも、みんな同じことをされたことがあるだろう。自我を出してしまったために作品が見たいだけの人にフォローを外されるようなことを。趣味人ですら飯やスクショあげんなとか匿名でメッセージを送られるのだから、商業作家ともなれば中の人の呟きなんか見たくないと存在すらボロクソ言われることも珍しくはないだろう。こういう人は、作品にだけ用があるんだよな。都合よく自分を満足させてくれる人が欲しいのだ。

ああ、絵を勝手に使われまくって、玩具にされて、抗議すれば逆ギレされて、でも守ってくれる人はいなくて、訴え続けてももうまわりへの迷惑になるんじゃないかとか、聞いてくれる人はもういないんじゃないか、とか、ずっと孤独だったなぁ。みんなが欲しいのは絵だけ。そうでしょ?だまって絵と楽しい妄想だけ上げていればいいんでしょう?って、それが出来なくなったことでどれだけ自分を責めたことか。

規模は違えどそういう図はどこにでもあると思う。

私には絵しか価値が無いという価値観を植え付けたのは紛れもなく他人なのだが、その責任は誰がとってくれるのだろうか…価値観が拭えるまで誰が辛抱強くケアしてくれるのだろうか…

商業作家だけでなく趣味人に対しての意識も変わってくれたらいいのに