にっき

ゲーム記や転載された絵の削除申請まとめ、療養中の記録。

認知行動療法をもう一度やってみようか考えたり、他人の作品を勝手に使ったことを正当化するのは差別じゃないかと思ったり

ゲームプレイ日記を一週間かけて思い出しながら書いていると、まあなかなか日常を書くのが難しいものです。

 

そんなわけで最近の出来事まとめ。

 

 

昔、主治医に尋ねて教えてもらった「自分でできる認知行動療法 うつと不安の克服法(清水 栄司)」という書き込むタイプのワークブックがありました。
半分ぐらいまでやったけど、結局それは続いていません…。


それをふと思い出したように引っ張り出して、書き込まれてる1ページをフォロワーさんに送ってみました。

するとフォロワーさんはその写真に写ってる項目を自分でもやってみてくれて、良さげだと感じたらしいです。
私はなんとなく、そのワークをあまり信じられなかったから続かなかったけど、このワークが悪いかどうかではなく、ただ単に相性の問題だったんだ…という、数年越しの気づき。
うーん、今もう一度やってみてもいいのかも…

 

自分の事を観察して書き出すのを、「文字で書く瞑想」と表現してくれました。ああ、言われてみれば確かに。
日記もメンタルヘルスに良いらしいけど、似たようなことなのかな。

 

ただ事実を書き連ねるだけでなく、その時の感情や、違った考え方をしてみたことを一緒に書き出して。

人が読んでもわかるように形を整えるのも大事なのかも?と思いました。実際に見てもらうかどうかではなく、考えを整理してまとめるという行動に意味があるのではないかな、と。
私はこういうのを、カンニングペーパーを作ってたら覚えてしまうのとを同じだと思っています。

そう考えると、私はあまりこの日記を活用できていないような気がします。

 

でも、最近は心労のせいか、一日に起きた事を思い出せないのです。
ピクミンブルームの中で毎日一言メモをつけられるので、そこにポジティブ日記をつけていました。
これは毎日何でもいい、どんな些細な出来事でもいいから良いと思った出来事を3つ書き出すものです。
ただ、絵での被害がヤバい事に気づいてからは、3つを思い出すことができなくなってしまいました。
ゴミで溢れて物を入れられなくなった棚のよう。

 


その心労について、他にも色々とあります。

他人の作品を楽しむことができなくなりました。
PinterestInstagram等の無断転載が横行しているサービスで削除申請を繰り返していた…その後遺症だと思います。
たくさんの絵を見ました。
知っている人の作品ばかりでしたし、相互さんの作品もあります。
私と同じようにフリー素材化して、散々使い倒されている作品とその作者もわかります。

 

だからもう、好きな人の絵を見ても、「どうせこれも盗まれるのだろうな」と反射的に思ってしまって、純粋に楽しむことができないのです。

それは他の媒体に対しても色々と影響があるようです。
まず、小説を読むこと自体は元々苦手なのですが、以前にもまして頭の中に入ってこなくなりました。
それだけではなく、なんと漫画に対しても大きな負担を感じています。
アニメも、実況動画も。実況動画はアニメより負担が大きいですね。
何を喋っているのか、何が起きているのかを理解できない、覚えていられないようです。
同じシーンを何度も何度も巻き戻して、頭の中で言っていることを唱えて…。
唯一音楽だけはそこまで負担を感じません。

ツイートやニュースは読むことに負担を感じません。
おそらく誰かが作った「作品」に対して拒否反応が出ているのだと思います。


サブカルから離れなくてはならないのかもしれない…。
でも、仕事を終えて家に帰ってきてから出来る趣味なんて限られています。サブカルじゃない趣味って一体何があるんでしょう。

 

 

今、ありがたいことにいくつかSkebでご依頼を頂けました。
数か月ぶりに絵を描くので、ウォーミングアップから始めました。クロッキー帳にボールペンでガリガリと…。
こんな状態でも、ある程度描けるものなんですね。
もしこれを機に絵って楽しいな、また描きたいな、と思える気持ちが蘇ってきたら…と願わずにはいられません。


私の持つ「絵を描くことから逃れられない」というのは、漫画の中に出てくるような「でもやっぱり私続けたい!」みたいな、キラキラとした演出で表現されるようなものではありません。そんな風に簡単に解決したらどれだけよかったのでしょう。

幼稚園の頃から続けてきたことです。
これが無くなるということは、アイデンティティを失うのと同義です。それを無くさないためには強靭な精神が必要です。
不思議ですよね、好きでやってることなのに。

もしこれが、幼少期から頑張って来たスポーツ選手が、怪我や精神的なものを理由に続けられなくなった、とか、そういう事だったら、もっと理解や共感されやすいんでしょうか。

なんなんでしょうね。

 

私は最近ずっと、クリエイターを軽視する風潮を「差別」ではないかと考えるようになってきました。

泥棒はいつだって同じことを言いました。
私も言われてきたし、フォロワーさんも言われてきたし、削除申請について先人にお伺いした時も同じことを言われたそうです。

 

有名税」「クレジットを書いたのに」「キチンとクレジットを書くから許して」「非営利だ」「無料のプロモーションだろう」「使っていいって知らなかった」等など…。

 

ねえ、これが「露出の多い服を着てるのがいけないんだ」「減るもんじゃないだろう」とか、そんな言動だったら…どう思います?

 

現実的に考えたらネットにアップした時点で…というのはそうなんですが、でもどう考えても悪いのは泥棒です。
これを見ている人が、もしブロガーさんだったら、あまり他人事ではないと思います。RSSか何かを利用してそのままコピーを作るバカも世の中にはいますので…ググればでます。


クリエイターの立場の方で、スクショや飯画像をアップしない等、気を付けている人もいると思います。人が増えると言いにくい事も増えます。だからアカウントを分けたりしますよね。
私もそうでした。作品生産マシンに徹していました。
「みんなが見たいのは絵」「絵を描かなければ存在価値が無い」
そういう圧に屈しているクリエイターであったことも、加担行為だったな…と今は反省しています。

 

好きなことをしているだけで搾取されているのはおかしいです。
日本の場合、著作物の定義って「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」だそうですよ。

 

「思想又は感情を創作的に表現したもの」
そういわれると、他人の著作物を勝手にどうこうするっていうのは、だいぶヤバい事なんだなって伝わりやすいですね。
たぶん、努力の成果を勝手に盗むなんて、って言われても、ほとんどの泥棒には努力が理解できないし、そのうえ、なぜか正当化されるんですよね。


何かあって絵を辞めた人とは、なかなか連絡が取れるものでは無いのです。
死人に口なしとはよく言ったもので…。
今思うと、こうしてしょうもない日記を続けてて、話しかければ返事が来る私のようなケースは少し珍しいかもしれません。

私は完全にいなくなったわけじゃないからな、フリー素材に思うなよ、なりすましは許さねえぞという意味も込めているので、活動を停止できない…というのはあります…。

 

まあもう二度とTwitterInstagramでの活動はしたくないですが。

何とかして回復したいものです。

 

 

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