タイトルで言いたい事言い切った気がします。
私に少々縁があり、なんとなく実感したことでした。
私の日記のアクセス解析でのランキングを見る限り、ここに書いてある事を役立つと感じる方は、おそらく…助言や仲間を求めてる方が多いのではないでしょうか?コメント欄を閉じているので、その真偽のほどはわかりませんけども。
カウンセラーさん
まず初めに…
いつぞやのトレパク冤罪の方、最近知ったのですがカウンセラーさんとしてお仕事を始められたそうです。
何年も昔、私自身が精神科に通い、その中でカウンセリングを始めることになった時に感じた事があります。
カウンセラーさんは創作に関して知らないので、そのことを1から説明せねばならない事が非常に負担でした。中には言いにくいこともあります。そして説明したところで、理解してもらえるとは限りません。どんなことにでも言えることですが、当事者でない場合、理屈はわかるけど想像がつかないことは山ほどあると思います。
創作活動をされてらっしゃるこの方は、創作のことがわかる非常に貴重なカウンセラーさんだと思います。
グリーフケア
まどマギが流行ってた頃、「ぐりーふ」とは何?と思って調べてから、概念だけは知っていましたが、今まさか役に立ちそうだとは…。
今、私は「グリーフケア入門 悲嘆のさなかにある人を支える」という本を読んでいます。支えるというか、私自身の心の為に読み始めたものですが…。まだすべてを読んだわけではありません。
グリーフケアとは、大切な人を亡くした方の心を支援するために使われる言葉のようです。そういった乗り越えるための「喪の作業」をグリーフワークというのだとか。
そうなると「絵」は「人の命ではない」のですが、私にとって「絵を描く事」は幼稚園の頃から続けてきたもので、それを辞める(休むことを含む)のは大きな喪失以外の何物でもありません。
また、この本の冒頭にも「様々な種類の悲嘆」について説明がありました。
その中には役割であるだとか、住環境だとか、そういった人の命以外の事も含まれていました。
私はそれを読んだ時、「人の命についてではなくとも、悲嘆していいのだ」と安心しました。
そして、まだ現時点では半分までしか読めていませんが、その本に書いてあった様々な事は、私が今まで行ってきた事と共通点がいくつもありました。
かつて死が身近で近所づきあいがあった時代では、身近な人を亡くした経験のある人達が地域に集まっており、その辛さを共有できていたんだとか。私にはわからない時代です。
核家族化や近所づきあいが減った今、悲しみを抱え込み孤独な人が多いこと、そのために、悲しみを癒す会に遠方からやってくる人もいるんだとか。
私はこれに身に覚えが非常にあります…。
まず、絵を辞めた方とは基本的に連絡が取れません。
これはつまり、仲間を見つけることは不可能に近いということです。
私の日記の削除申請にまつわる記事を見て、なんとかご連絡くださった方々は、自分で言うのはちょっとキモいんですが…幸運ではあったのかもしれません。
また、私は削除申請をするために、各プラットフォームで削除申請を行ってる方々…つまり被害者の方々の残された記事だとか、ツイートだとかを探しました。
その作業もまあ本当に苦労の連続です。ブログ時代であれば情報もたくさん残っていたのかもしれませんが、欲しい肝心な情報(特に削除された側に届くメール等)はなかなかヒットしないもので、英語も使って探し回りました。ただでさえ無断使用によって疲弊している精神状態で探し物は非常に困難です。
そうやって見つけた方々や、絵に透かしを入れてる方々に直接お話を聞かせていただいたことも多いです。
するとどうでしょう、勇気が湧いて孤独感が薄れるんですよね。
なんといいますか…ようやく「当事者と」気持ちを共有できた、という安心感というのでしょうか。
とはいえ、それですべての苦しみが吹っ飛ぶわけではなく、やはり思い出しては苦しんだり、ということの連続です。しかし定期的に連絡を取り、話を聞いてもらうわけにはいきません。
もしも被害を受けた絵描きさんたちが、苦しみを共有できる場があったら…それを簡単に見つけられたらどれだけいいだろう…と考えていました。
とはいえ、実際に会ってお話しするというのは性に合わない人が多いでしょう。掲示板とかが現実的なんですかね。まあもうそういうスレがあるのかもしれませんが、手厳しい事を言う人もいるでしょうから…悲しみ比べをしない、などのルールと、管理人が必要だとは思います。
ただ残念ながら、私自身にそのような会を運営して告知する余裕はありません。
時折削除申請の方法を伝えていますが、それぐらいが関の山です。そういうサポートに回るのもいいな、とは思って、カウンセリングの本等をいくつか教えていただいて読んだりもしたのですが、なかなか…メンタルブレイクした人間には厳しいですね…。
また、今後もコメント欄を解放する気は無いです。ここ、削除申請に役立つ情報をいくつか記載してるだけで、私が平成を懐かしみながら書くただの日記なので…。
我ながら他人任せだな…と思いつつ、需要はおそらくあるだろうということを、ひっそりと発信しておきます。