にっき

ゲーム記や転載された絵の削除申請まとめ、療養中の記録。

名前も違う、アイコンも絵ではない、転生アカウントをマストドンで作りました。

自分が矛盾している行動をとっていることは理解しています。

Twitterで出来た縁が切れるのが怖かったのに、自分でその縁を切ってる。

何やってんだろうな。どうしたらいいのかわからない。嫌いじゃない、好きだけど、どこか辛い、漠然と楽になりたいってことだけわかる。楽になりたい、楽になりたい、

 

ひとまず、私としては、まずはお試しでやってみる、というのが現在の認識なんですが…まったくもって誠実ではないな……

最初のマストドンに接した時も結果としてTwitterに戻れなくなってしまったので、大方今回も快適さを覚えてしまうのではないかとは思っています。そうなったら、どうしよう…。

 

そんなこんな書き殴っているとディスコードで、「絵描きと公表したらTwitterと同じ状況になってしまうから完全日常アカは納得」と言うメッセが飛んできた。日記書いてるところ見られてるの…???いや、でも、なんか、第三者からそう言われると急に間違ってはなさそうだなって冷静になるね…。

 

ひとまず、今のところ、転生後は創作に関する内容を投稿せず、日常に徹し、日常アカウントとしか繋がらないようにする。心揺れるオタクに対しては以前と違って躊躇せず自衛、という試み。

これはもう、相手がだれであろうと徹底します。特に自分のいる複数のジャンルに関しては徹底します。後からTwitterに何かあって、フォロワーさんたちがこっちに来たとしても。

悪い人以外にブロミュ使うと罪悪感があるからあんまり使ってこなかったくせにできんのか?とは思いますけど…自ジャンル者が来るとしたらpawooでしょうし、そんな警戒MAXでなくても大丈夫だとは思っています。でも最近もpawoo落ち気味だし、🍑サーバー立ってるのは知ってるしな…。

 

どうなるかな…。楽になるかな…。

 

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Twitterでは、絵描きが絵を辞めたり、ジャンルが変わったらそこが縁の切れ目という前提があり、日常的な会話も「趣味の合う創作活動」が前提で発生しているもの、という認識があります。

「作品」がきっかけで仲良くなった後も「趣味の合うオタク」だから関係を保ててることの方が多いわけですね。聞くところによると、旅行に一緒に行くような仲になっても、好みやジャンルが変わってそれがお互い地雷CPだけで縁が切れることもあるみたいですし。本当に宗教っぽいですね。

「趣味の合う創作活動」は「価値」なので、それが無くなったとき、私は残りカスみたいになるわけですが、現状が残りカスに近いんです。

絵も上げず妄想もせず、何もなくなった人と、誰が仲良くしてくれるのでしょうか。そんな人の日常に誰が興味を持つんでしょう。

ありがたいことに何人か、普通にジャンルが変わっても変な会話出来てる人も何人かいるんですけど、Twitterではそれは珍しい方なので…。

 

だから、きっと、端から絵描きではない人間として、価値がなくなったと思われない立場でいられる環境を作りたいのかもしれません。絵を通じて嫉妬や恐怖に振り回されるのも嫌だ。

でも誠実だとは思いません。今までいたところに砂かけしてるみたいだ。今まで…今までの意味ってなんだったんだろう。頑張ってきたことももらってきたもののことも。

 

絵じゃない新しいコミュニティを作れたら、少しは心に余裕が出来て、またTwitterで絵をアップしても大丈夫になるかな…。

まるでTwitterにこだわってるみたいだけど、どっちかっていうとそれが出来るぐらい心の余裕が欲しいというのがメインです。

 

 

というか今までよく失踪せず何年も同じアカウント使ってたな。今までの理性の方が強すぎたのかもしれません。

行動力だけはあるよね、と、もう何度も元上司に言われているので…………直情型なのは…言われてからちょっとだけ自覚したんですが…………。

でもあんまりブロックとかミュートとか使ってこなかった…。あなたの事嫌いだけど絵を見たいならブロックしないでおきますの精神、今思えば普通に聖人だと思います。

あの頃の方が今みたいに人と話すことは少なかったけど、カッコよかったな。