にっき

ゲーム記や転載された絵の削除申請まとめ、療養中の記録。

Twitterに戻った後のことを考えるとつらい

お試しなどと言ったけれど、これで快適さを覚えてしまったら、Twitterに戻った後はどうしよう。

お試しと同じように、嫌だなと思ったら即対処していけばいいのか。

実際のところどのようにTwitterをしていたら快適に過ごせたのだろう。

 

漫画…

漫画描いてる人はブロックだな…。漫画を描くのが怖いから、描ける人には嫉妬する。書籍型の漫画のことを考えると本当に苦しくなるのは、何度か言っていたね。だから縦長カラーにしたことも。

漫画は、本当に、才能ありきの世界だと思う。成功してる人には高学歴多いとか聞くけど、そりゃそうだ。絵は独学でも練習すればうまくなるよ。漫画は違う、なんかもうありとあらゆる能力や映画や知識の結晶だから…

もう10年くらい経つのか。学生時代に心折れたことなのに、年々苦しさが大きくなるのはなぜだろう。なんで忘れられないんだろう。若さはエネルギーだからか、年老いていけばいくほど頭が動かなくなって、漫画ができなくなるのは、なんとなくわかる。一般的な読み切り、24ページとか32ページくらいか。読み切りの一本も描けなくなってしまった雑魚になった。

現フォロイーさんの中には少ないので、フォロー外の話になるでしょうね。

 

 

〇〇ちゃん!と仲睦まじそうに呼び合ったり、他の人を褒める様子はあまり見たくない。他人が褒められていたり、イチャイチャしてるのを見るためにフォローしたわけじゃない。

何ならブロック済みの人や流行りものへの賞賛(空リプ)もなんとなくわかるので、それが一番きついかもしれない。嫌いな人や作品の名前をミュートワードにぶちこんでいたけど、ホームに行けば見えてしまう。摂取量に限度がある、イーロンのツイートのほうがまだマシ。

大昔に、自分に宛てられた感想ばかりRTする絵描きや、空リプチャット状態と化した人たちをリムったことがあったな。フォローする前はそんなでは無かったんだけど、まあ時間とともに使い方も変わったんだろう(でもこれは頻度の度が過ぎていたからで、さすがにそんな人を今はフォローしていない、今の状況とは違う。)

界隈まるごと捨てるしかないような時期もあったので、それ以降は交流を控えて何年も経ったけど、この現象自体は減ったものの体感的にはうーん……という感じ。別に今だって…むしろフォロー数減らしたことが原因で、より目につきやすくなったかもしれない。これは誤算だった。流行りものの名前や感想は変わらず流れてくる。

人もミュートすればいいんだろうけど、それをするとその人は二度と流れてこなくなりますね。何のためのフォローなんだろう。それに、私からの反応がなくなれば、ミュートされてるなって、気づかれるだろうな…。

 

それを恐れているから快適に使えないんだろうな。SNSの使い方なんて、人それぞれだし、アレが嫌コレが嫌って自衛すべきこと、せっかく用意された自衛機能だから気軽に使えばよいというのに、その機能自体に「人間関係」の意味が乗ってしまって気軽に使えない。一度相互になってからリムとかブロ解とか、もう今生の別れを意味する。

せめてリプしあっているところだけでも見えなくなってくれればいいのに…。

こういう時にマストドンサードパーティのアプリだったら対応できたのかもしれないですね。

 

トレンドでワーッ!となるのは避けられない、該当する人物をミュートしていくくらいならアカウント消した方が早い。祭り会場で静かにしろと言っているようなもので。

 

 

考えれば考えるほど、自衛するというのは難しい。

絵を上げてログアウト、DMはロックかかると申し訳ないのでdiscordを置く。

結局それしか思い浮かばない。

あれ、前アカにいた時よりもただのbotに近くなったな…。

フォローしたくてフォローしてるはずなのに、そのツイートも見ないで、何のためのフォローなんだろう。

私も見たくないものを見ない権利を使いたいけど、それを使うと望んだものも見れない。現状も不誠実だとも思うし、他人は変えるものでもないから自分で環境構築していくにしても…快適を求めれば求めるほど、わけがわからなくなっていくな…。

 

不誠実不誠実言ってるけど、それも自意識過剰だな…。代わりはたくさんいて、好きなキャラ描いてる人だったらだれでもよくて、いなくなればすぐに忘れられてしまうほど、人の存在が軽いのがTwitter。ビクビクもペコペコもしなくても、しれっと消えて、しれっと帰ってきても、何も変わらないのは、昔1ヶ月ぐらい消えてた時に知ってるので…何が不誠実なほど価値があるんだろう。

 

 

 

わからん、なんかもう、急に爆発したな…。マストドン見つけたときは、みんながこっちに来てくれたらうれしいな、なんて思っていたんだけどな。絵を上げないって言っても、忌まわしい名前とIDで始めちゃったもんだから、絵描きとかオタクとかの自分から出れないのが、苦しかったのかな…。

元々膨らんだバッテリーみたいだったんじゃないか。FANBOXの整備はちょっとした走馬灯みたいだった。ディスコで言われた通り、完全日常アカに徹するのが正解なのかな…。

面倒くさい、次に人間に生まれる罰を受けたとき、二度と絵なんか描かない。そりゃゴッホも耳切り落とすわって感じ。ROMでいる方が絶対に楽です。黙って座ってりゃ飯が運ばれてくる環境は楽で素晴らしいし、後片付けもしなくていい。何も生み出さないから失う恐怖に怯えなくていい。

 

人は、作品が好きなのであって、好きと言われてもそれは中の人のことではなくて作品のこと。褒めあっているのだって、その人の人格ではなくて作品のこと。でも、作品と作者はどうしても繋がりがあるし、作品が作者の代わりに返事してくれるわけじゃないから、混同してしまいがち、なのかも。

そこがクリアになったら、好きな人同士が褒めあっていても、例え好きと言ってくれた人が自分に興味を失ったり嫌いになったりして、リムブロされても、気にならなくなる?そうなれたらいいな。

でもそうなるためにもやっぱり絵bot化は必至だよなあ…。自分の人格を出さない生活を自分でもやって、何を言われても無視して、作品と自分を切り離せるようにする努力…。交流しながら切り離せるほど器用じゃないよ。わからない、けど、今は変な人もいないし、交流は楽しい、楽しいけど、それは私が「絵描きだから」「オタクだから」遊んでくれてるんだという長年の前提はどうしても抜けない。学生だって卒業すれば仲の良い子と話すことがなくなるのは普通だから、属性とか場所とかって重要なんだと思う。あーあ、自分で作品アップし始めたことなのに勝手にこんなにこじらすなんてバカみたいだ。