にっき

ゲーム記や転載された絵の削除申請まとめ、療養中の記録。

LTL激動の1ヶ月だった

以前、一度にLTLから脱した3人のうち、1人がfedibird/LTL両方アカ消し、1人がLTLアカ消しをした。特に前者は、お話しする相手だったこともモフモフアニマル仲間だったこともあって勝手に親近感を抱いていたので、かなりショックだったけど、その後fedibirdタグで全く別人として存在しているのを観測したのでにっこり。

 

ただ未収載は購読で拾えないので、今後公開で活動するのを祈るばかり。いつかまたお話しできたら嬉しいけど、正体知ってるのに知らない人として接するの不器用だから絶対どこかでボロが出る!

(この未収載は購読で拾えないというのは、フォロー検討のために使用する時は少し不便だと思う。フォローしたらその流れてこなかったものが流れるようになるわけで、アレやっぱ違ったなってなりそうだ。だから今はもうほぼ公開で投稿するようにした…)

 

ここの先住民いわく、

新規が居つく→ある程度他のサーバーへ移る→新規が居つく→繰り返し

と言うことが定期的にあるらしい。

 

そうだったのか…。ここが出来たのは去年の11月なのに、そんなに定期的にというほどサイクルがあるの?まぁ確かにLTLの存在は合う合わないが大きい気がするし、そこに家を建てるとしんどいというのは納得できる。

 

ただ、LTLは人間で出来ている。だから人間が変わればLTLも変わる。不変を望む私にはなかなか厳しい。入れ替わる度に人間関係が一部リセットされて、新規さんの人となりを距離を測りながら覚え直すというのはしんどい。

 

それでも非常に有益な情報だった。だってこんなこと、サーバー紹介の記事には書いてなかったから。そりゃ楽しくやろうぜって紹介ページで書くことではない。

でも、こういうものだってわからないと、こんなにも早く人がいなくなってしまうなんて不安でしょうがなかったよ。初めてのマストドンだもの。

先人が教えてくれたおかげで、少し楽になった。なるほど歴史を語り継ぐ重要性を理解…。ただ楽になっても寂しいことに変わりは無いので、もしずっと、こんな、1ヶ月に1回は寂しいって思うことが増えたら…その時私は無理かもしれないなあ~。

 

思えばTwitterでは短いスパンで人が入れ替わる事ってあんまりなかったから、人の移り変わりが激しくて、慣れてないのかもしれない。
これからも使い方をよく知らないTwitterからの流入もあるだろうし、まだまだ繰り返すんだろうね。
先住民ってみんな長老クラスで長居してるんだろうなって思ってたよ。

長老か…長老になった気持ちで居座り続けるのもなかなかハードなんだな…旅人さんお話を聞かせて!なんてよく創作物の中にあるけど、ああいう…ああいうポジションかな…。どこかでこのfediverseをキノの旅みたいって言ってた人がいるけど、なるほどね。住民視点になるとは思わなかったな。

 

これで紹介記事には書いてないような、LTLで起きる事柄は一通り経験したことになるんだろうか?なかなか激動だったな…。やっていけるかな。不安だな。

 

 

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WEBやデザインを齧っているハイスペックな人がいるんだけど、ここで小説を書いている人に触発されたらしく、書いたものをどうしたらいいかと尋ねていた。数字がイヤらしく踊らされにくいところをワチャワチャと教えあって、少し目を離した隙に投稿していた。行動が早い。デザインもできるし書き溜めたら自分で本作れるじゃん。

 

しかし…「あなたに影響されました」なんてめちゃくちゃ誉れ高いおくりものじゃないか。

あ~~~…いいなぁ、言われたかったなぁ…。

 

でも不思議と嫉妬は無かった。当の本人はいなかったのがもどかしい、本人にもう一度言え!とすら思うくらいには。Twitterだったらダメだったと思う。なんだろうこの差。楽しそうに作りあいっこしてるところを見ても、その輪の中に入ることは無いからかもしれない。好きなものがみんなバラバラで敵対心や嫉妬心を抱きにくいとか、色々考えられる。

 

まあ…嫉妬せずとも悲しくはなった。だって1次も2次も長い間続けててそんなこと言われたこと無い。リスナーさんが1人だけゲームをやり始めていたのは覚えてて嬉しいは嬉しいけど、尻がどうとかめちゃくちゃなこと喋ってただけで私の創作がどうこうじゃない。影響を与えたいから作ってるわけじゃないから、大作でもなければちゃんとしたお話でもないようなものなんて、そりゃその程度なんだろう。そもそも影響を受けましたなんて人ホイホイと現れるわけないんだけど、かといって、その程度なんだ、消費や搾取で終わりなんだという事実に悲しくなるのは別の話で。でも漫画を描くのは怖い、気持ち悪くなる。

 

ここは狭い空間だけど、作品を知ってから人を知るんじゃなくて、その逆で、人を知ってからだから、人からの影響は確かに受けやすいのかもしれないな。始めたばかりで拙くても、見て褒めてくれる人がいるのは見てればわかるから、発表もしやすい。それにどれだけ上手でも評価数の天井が低いのもわかるから、等しく同列っぽい安心感もある。楽しむことを重視するなら良い環境だと思う。

 

というか以前、私はここで作品あげてるわけじゃないのに「前使ってた絵のアイコンに変えないの?」って、覚えててくれて、それを言ってくれた人がいるわけで…私まだたった1ヶ月しかいないのに。Twitterで過去作覚えててくれてるんだなって発言もらったこと、多分片手で足りるくらい。

 

こうしたかったってことを見聞きしては、全部、もっと早くにTwitterをやってた頃に、味わいたかったなぁ…って、なんか頻繁に泣いてる気がするな…。Twitterってマジでなんだったんだろ。否応なしに人間がコンテンツにされるゴミみたいなSNSなんて潰れてしまえ。と願ってもそれはそれで面倒ごとになるのがもどかしい。

 

これは別にTwitterでこうしたかったことじゃないけれど、1つだけ夢を見る。

他の人の様子を見ていると予測着く。私が少し緩い絵をマイキャラだよってアピールしたら、たぶん絵を描いてくれる人や、編みぐるみを作ってくれる人がいるんだろう。キャラに名前をつければ、覚えてくれるんだろう。私が誰かのキャラを描いたら、喜んでアイコンに設定してくれるんだろう。

でもそんなことにはならない。まるで大人になってから子どもの頃楽しかった場所を見て切なくなるような気持ちだ。

 

何もかもわからない、少なくとも今一番人間としてのびのびしてる。悲しい。