にっき

ゲーム記や転載された絵の削除申請まとめ、療養中の記録。

アカウント爆破検討期

前々から考えていたことだけど、くるっぷと最初のfedibirdのアカウントを消そうかと思っている。pixivもマイピク限定にしている作品を非公開にしてしまおうかな。

IDは再度取得できない、欠番になるので、透かしを入れてる以上困ることもあるかもしれないが…でも後戻りできない状況にしてしまった方がいいような気もする。もうオタクじゃないし産廃の痕跡なんか残していても仕方がない。

ほかに何か、私に思いつかないもので困ることがあるだろうか。と思って偉大なる元上司に尋ねてみたところめちゃくちゃ止められた。のでいつもより控えめに反抗した。

 

後悔は数年後に来る→その頃には私含めて皆変わってるよ

他の人が同じアカウント使ってるの見て凹むでしょ→どうかなぁ…

後悔しやすい性格なのに捨てなくていいものを捨てないの→絵を上げてきたから後悔してるんじゃないですか!

それを消したらさらに無駄だったという気持ちが高まりそう→むぐぐ

新しい場所を見つけたとしても新しい一歩は踏み出してないでしょ→むぐぐ…してるもんチャット参加…

押しに強いから強行するんだろうけど→むぐぎおあ図星

スケブ含めて完全に何1つ絵を描かなくなったわけでもなくまだ絵で稼いでるなら残しておけばいい→スケブアカじゃないもん二次だもん関係無いもん

 

以下略。

今まで元上司からの評価は「行動力はあるよね」「押しに強い」そこに「後悔しやすい性格なのに」が追加された。前者2つの自覚は無いけどそれって要するに単なるバカでは。まあ…バカだな…。

まあしかしどうしよう。予想以上に止められたので驚いている…。何をそんなに止めるのかわからない。まあ正直マストドン案内した時点で役目終わったなと思う。特にツイ支部嫌がってる人いたし、低コストで次の場所見つけれただろうから最後に人助け出来て良かったんじゃないすかね。

元上司の中では、どんだけいうてもこいつアカウント消すんだろうなあとは思われてるだろうけど、永久欠番となるとそうホイホイと消すほど馬鹿でもない…と言いたいけどやっぱり勢いで消し飛ばしておけばよかったかな。なんというか、私の理性を元上司に委ねてる節は有るので、消したい気持ちはありつつ、咀嚼して飲み込むために一応ポチポチタイピングしてこっちに書き移しておく…。止めて見ろオラァ!!!

 

 

 

鯖缶さん周辺が検索について話していた影響もあり、LTLでもそのあたりの話をしていた。

検索が弱いことがここでは救いだ。あれは人間をコンテンツにし、炎上をもたらす悪しき仕組みだ。検索を求めるなら強いところに行けばいいだろう。ここはコミュニケーションの場として機能していてほしい。すべてが同じになる必要はない。

個人的にはそう思うものの、検索をされたい人もいるんだろうし、選択できる仕組みに改造したfedibirdの管理人さんはすごいと思う。なおmisskeyではそこらへん無視して全部キャッチするらしいので迷惑である。

 

そういえば一瞬だけ見たけれど、たまたま覗き込んだのえすきーで、twitter化の起きているmisskeyではすでに数字がどうこう言い人を馬鹿にするノートがあったらしく、twitterから逃げてきた人が嫌がっていた。数字は害悪だ。人間は数字に定義されてはならない。

 

私は毎日のように、人間が人間とコミュニケーションしているのを嬉しいと、どこかで言っているような気がする…。多分そこまで何度も言ってないと思うんだけど、気持ち的にはもはやどこで何を言ったか覚えていないほど。

 

そういえば、匿名掲示板を見ることはあっても、書き込んでみる気が全く起きないのは、どうせバレるし、というのもあるけど…相手が特定できる形でのコミュニケーションがしたいのだとはっきりした。匿名だと連続性が無い。この人はこういう人だ、というものの積み重ねが欲しい。例えばこの人いつもこれ描いてるな、とか、この人前にこれオススメしてたな、とか、そうやって輪郭がハッキリしていく方が私好み。

運命と言うと急に胡散臭くなってしまうかもしれないけど、人がたくさんいる中で、もしくは人を見つけにくい中で、なんとなくできた縁を大切にしたい。と、Twitterでも思っていたけど、それは私だけだったかもしれない。続編が出るのだからどこを爆破しようとどうでもいいと思うんだよな。

 

匿名が心地よいのも、匿名じゃないと書けないようなことがあることもわかる。この日記に書きなぐっているような内容は、たぶんそういうところに投げるほうがいいのだろうけど、そうする気が起きないのは、匿名には連続性がないので自分が何者かよくわからなくなりそうだからかもしれない。

 

 

夜になるとフォローは友人関係ではないという話題になっていた。のえるさんの言葉だ。それはすごく気が楽になる言葉だけど…マストドンでは人間が商品ではないという、アンチTwitter思想で設計されているそうだけど、単に読みたい人をフォローして、読みたくなくなったら外すというのは、人間が商品とどう違うんだろう。

 

それとは別に、フォロー関係が友人関係に変わっていくのは一体どこからだろう、とまた考えている。友人といってもその中には、学校でだけ絡みたい友人やプライベートでも遊びたい友人とかいろいろな「友人」がいると思う。わからない、個人的には身の上話を聞かせてくれたら少しは心を開いてくれてるのかな、と思うけど…。

TLには「フォローを外しても友人であることに変わりは無いのに…」と言っている人がいたけど、あれはリア友の話なんだろうか。それとも、ネット上の友人だけど何か別の通話アプリで繋がりを保っているんだろうか。

不思議なもので恋人関係になる時は告白とかいう儀式があるのに、友人だとそうではないものな。恋愛関係よりよっぽど曖昧で複雑なような気がする。