にっき

ゲーム記や転載された絵の削除申請まとめ、療養中の記録。

私の虚無は健常者にとって普通である可能性

今私は鬱を抑える薬と、躁と鬱の両方を抑える薬を飲んでいる。

もうずっと何か月も楽しい事が無いと、虚無の日々をすごしている。けれど、もしかして、虚無に感じているけれど、これが躁鬱じゃない、健常者の普通なんじゃないか。だって躁も抑えているから。何人かに話を聞いてみたけれど、感情があまり揺さぶられる事無く平穏に過ごしているという回答を聞く。健常者の普通が、私にとっての子の虚無。なんとなくそんな気がしてならない。

 

だとすると…私は薬を飲む限りずっとこんな虚無でつまらん日々を送り続けなくちゃならないのか。躁を知っているだけにこれはつらい。なるほど、躁鬱の人が躁の時を本当の自分だと言いがちな理由もわかる。普通の人には申し訳ないがなぜなら虚無だから。うつも混じっているから通常よりも虚無なんだろうけども…それを差し引いたってなんだってこんなつまんない生き方をしなくちゃならないんだ。

 

ここ最近、絵を描くことは完全に仕事感覚だ。そりゃそうだ、趣味で描きたいもの無いんだから当然だろう。でもその趣味が見つからないのが問題で、だから楽しい事を探しているわけだが、どうもこれ(虚無)が普通の人の感覚だとすると、私はこの先だって趣味で絵を描くことは無くなっちゃうんじゃないか。

生きていても楽しくないこんな日々を…かといって強く死にたいと思う時期も通り過ぎてしまい死ぬためのエネルギーもない。私がいなくなって困る人などいない。死にたい時に死ぬべきだなとは本当に強く思う。