元々5月だと聞いていたが、早めに時間を取れたということなので、助かる~と思いながらいつだろうと聞いていると、4月25日だった。
大差無いな…と思ったが次に提示されたのが2週間くらい後だったので迷う事は無かった。
それにしたって1ヶ月でようやく受理面接か…気の長い話…
もうだいぶどうでもよくなってきている感じはある。モヤモヤが晴れたのではなく、もう誰も助けてほしい時に助けてくれないなら諦める感覚に近い。
ぼんやりと考えていたけど、「絵と楽しい話だけするコンテンツ製造機」ではなく「人間」として見られているとは、いったいどういうことなのかわからない。
私がわからないんじゃ伝えられても受け取れないというか、実感できないよな…と思う。
それだけ長い間ずーーーっと気にしながらTwitterやってたってことだよなあ…。
別に今も昔もどこにも絵をあげなくなったら全部終わる、誰からも話しかけられることすらなくなると思ってる。絵上げなくなったアカウントのフォローなんか外されて当然でしょ…。
人間…人間か
Twitter辞めて1年経っても全然抜けきらないもんだな。
人というのは楽しいこともしんどいことも両方あるもの。だからしんどい話もしたい。
大仰な言い方をしたけどSNSに書き込んだり、友達と愚痴ったりしあうよねってただそれだけ。
別に他人を愚痴サンドバッグにするつもりはない。見境なく愚痴っているわけではない。必ず聞いてくれと押し付ける気も無いから断りもいれて了承もらってる。相談する時もあの人はコレに詳しそうだから、と人を選んで相談するぐらいには人の判別はついてる。
そういう面も受け入れられてこその人間だと思っているんだけど。
でも身近な人からも論破されたり離れられたりするから、世間では違うのかな…。
私だけがそう思ってるのかもしれないな…。私が好きな配信者が愚痴ってるところも好んで聞いてるような人間ってだけで、世間では違うのかもしれない。
口は禍の元っていうしな…。
まあでも人をコンテンツ製造機にさせてるのはその人自身だけでは無い、とは断言するけど。
今はやけに眠くて頭が回らない。
明日はようやく心電図と採血…