一気に読んだ。構成がしっちゃかめっちゃかであちこちに話が飛んだり回りくどかったので、簡単な文章な文だから読みやすいが話は頭に入ってきづらかった。そのタイトル通り、講義風なのだろう。
躁鬱人と非躁鬱人の人種に分けて考えるようなテイストで、対立を生みそうな雰囲気は感じた。始終ラクになるかどうか、心地よいと感じるかどうかを重視しており、あまり現実的ではないな…とは思う。(それもこの本に言わせれば、非躁鬱人というマジョリティに合わせて窮屈に生きているということなのだろうけど)
この著者が参考にしている神田橋語録というpdfには、躁鬱は病気というよりも体質だそうだ。ふむ…?体質…波はみんなあるよな、躁鬱はその波が大きいわけで、そのことだろうか。
読みながら、典型的じゃないのかもしれないねと言われた自分にはどれが当てはまるのかを考えていた。
躁というと、ヒャッハー!俺ってすげー!寝ないしどんどん活動しちゃうぜ!あっこれいいじゃん買い物しちゃおーーっっ!みたいなイメージで、ググって出てくるのもそういうことばかり。でも、我儘なくせに人に優しい、人の顔色を見る平和志向型とか、我慢しがちとかイメージにそぐわないことが書かれていることも多く、ありのままを受け止めるのになかなか混乱する。人がいないと機能しないくせに、人といるとはしゃいだり我慢したり疲れてうつになる………なんて難儀な……
うつ状態の時には、躁鬱人とは何か?を考えてしまうそう。好奇心の矛先が躁鬱に向かっているだけで、好奇心が失われたわけじゃないそうだ。物は言いようだなぁ、とは思うが否定もできない。が、それ別に普通のうつでもそうなんじゃないのと思う…。
そして1つのことに集中しすぎると、窮屈からうつになるそうだ。それって普通の人も同じなんじゃないの…?うつ状態では好奇心の矛先が躁鬱1つに絞られているらしい。
問題はその矛先をどうやって元に戻すかだ。それと、私がここまでハッキリとうつ状態になったのは今回が初めてだから、まあ初回は気になってもしょうがないだろう。
でもこんな風に自分の内面を考えることは、うつ状態じゃないとしないらしい。それはまあ…身に覚えはある。認知行動療法の本を見て分析好きなフォロワさんに手伝ってもらっているが、落ち込んでいる時じゃないと考える気力がない。が、楽しいことがあるならそちらに意識がいくのは躁鬱じゃなくても同じなのではないか…とも思う。
どうも、小、中学生のころのように、時間を決めて休憩をとりながら様々なことをやり、充実させていくというのがいいらしい。広く浅く、細々と、多彩に。あまり現実的ではないなあ…と思うけれど、今も前の会社も、やってる事は色々あって、小さい会社だからだけれどそれ自体は性に合うような気はする。
そしてこの「道一筋」は向かないそうだ…………絵しか…無いが……………
まあでも一次二次と複数ジャンルに足を突っ込んでいることや、右足は漫画で左足はイラストみたいなところがある。絵という中で幅広く浅くができているとでもいうのか。
そういえば、そのことで私は悩んでいたこともあった。一次創作は一点特化のほうが強い、○○の人と呼ばれ覚えられたら強いからだ。一枚絵のように整った絵柄ではない、漫画みたいな絵をしているが書籍型のコマ割り漫画をやりたくはない。まあ結局仕事じゃないから好きな事するしかないよね、という結論になった。ああ、色々あったな…
「孤独を保ち、いろんな人と付き合う」という章で「人付き合いを増やすと薬はいらなくなる」とかなんとか。
そこでこの筆者がどれだけ人付き合いをしてるかを例としてあげていたが…ギエエーーーーッ!こんなに人と接したら1日で磨耗してしまう!と思ったが、実際にはこの人もそんなに多く会っているわけではなく、メールや電話らしい。理解者以外に会うと消耗するらしい。それなら似ているところもある。
確かにうつ状態の今ですら私は毎日誰かにメッセを飛ばしている。そうしないと落ち着かない。一方で私はリア友と会った後はそれなりにモヤモヤし疲弊していたから、もう人と会いたくない感情が身に付いていてネットが一番気楽だ。
私にとっての多彩な人付き合いということか。まあ相手の性格は見る。話しかけられることに抵抗無さそうだな、ありそうだな、ぐらいの距離感はなんとなく見てれば少しは察せるし、知らない人に見境い無く話しかけることはしないから、そんなに躁じゃないと思う。
ただ話しかけられる側になると…人見知りでもあるので、公開アカウントだった頃はそれなりに苦しんでいたところもあったなぁ…。
でも、なんだァこいつ……と思う相手と仲良くなることはざらにある。そうなれば別に苦痛じゃないし、わぁい!ってなって喜んでる。だから話しかけられる場合の警戒は通過儀礼であって、苦しいながらもそのことを知っているから耐えていた。
だから人付き合いをしたいかと問われると微妙なところだな…。躁…??
でも、なんというか………中学の頃はチャットルームにいたし、じゃあやっぱり私にはSNSは必要があるのでは?と思ってしまう。
しかし読み進めると、最終的にはこいつ成功者じゃねえか!!!になってしまう。当然だけど少数派かつ病人が早々成功できるわけがないので、参考になるかというと…ううーん。
私はここまで強めの躁じゃないしな…という、自分の立ち位置を知るにはいいかもしれないが…そもそも躁鬱なのかも未だに疑っているし…。
それなりに人を選びそうな本だとは思ったし、軽度の躁だと当てはまんないような。ていうか軽度の躁って、非躁鬱人のテンションが上がってるときと何が違うんだろう?うつの波が大きいのはわかるんだけど…
躁の力を他人に使うと反動のうつが大きくなるらしく、自分や人間以外に使おうとある。それが文書化とあった。私の場合なら絵化だろうか…。そういえば自分のための作品作りは久しくしていない。ずっとSkebをしている。アニメが見れなくなっていった頃もSkebをしていた。これが頑張りすぎた反動だったんだろうか…。でも引き金を引いたのは問い合わせのメールだけどな。
でも普通の人はフルタイムで働いているのだから、家でもお金になる事をするのは当たり前だろう。会社でフルタイムはもう無理なんだろうとは思うけど、Skebは…うつになる前には納品物を見てめちゃめちゃ美しいじゃん…と思っていたし、半分は自分のためでもあると思うんだが…。どうなんだろうな…。