ケモナーの友人の経験を聞いてなかなか絶望だった。その人が自分の好きなものを作るように戻るまで1年近くかかっていた。
私のこの、体は元気になったのに趣味嗜好だけがピンポイントで戻ってこないようなしっちゃかめっちゃかな状況を考えると、私もそれくらいは覚悟しなくちゃいけないかもしれない。
その闘病時期を聞いていて驚いた。バトンタッチするように私が倒れたのか…。あまりにも急に倒れたし驚いたかもしれないな…すまぬ…。
1年…1年か…
その人みたいに私はサブの趣味を持っていない。1年で戻るとも限らないし、躁パワーでもっと早く戻るかもしれないけど、もしもこの毎日の虚無感で宙ぶらりんが1年以上続くなら、約束してもらったけどいつ死んだっておかしくない。
自殺者の心理は「あ、なんかやれるかも」な感覚で、サクッと死ぬとnoteに書いている人がいて、あの時私も、うちに縄があったらSkeb放り投げて終わりだったかもしれない。躁の衝動性だけじゃない、躁鬱の、躁混じりの時は特に自殺率が高いって事実なんかも、辛いから死んでもいいんだって後押ししてくれてると感じる。だから縄も買っておいた。繰り返したくない。
別に生きてても、絵泥棒だけじゃなくて、絵だけ見て私の面倒を見ない人達にずっと呪いを吐き続けてるままだと思うけど。
見知らぬ一見さんならともかく、絵も日記もずっと一方的に見てる人に見られたくない。いるかどうかもわからない仮想敵相手に戦ってる感じがするのはわかってるけど、アクセス解析で同じ地名を見るたびにいるんじゃないかと疑ってしまう。これは本当は削除申請記事が見られてることを知って喜ぶためのものだったのに……。
ブログは複数持てるのだし、もっと自由にブログを使おう。何もかも自分は見てるだけの人がいるならば腹が立つのは正当な怒りだ。見舞いもしないようなお前のせいで1人では衝動に耐えきれなくなった人が死ぬかもしれないってずっと思っていればいい。